取材・文・写真 松村 蘭(らんねえ) ――ミュージカル指揮者の仕事、それは決して客席から見えるものだけではない。稽古場から舞台本番まで、日本のミュージカル製作の最前線で培われた仕事力に、スポットを当てた。 「もしオーケストラの演奏者が絵の具だとしたら、指揮者はパレットと筆を使って絵の具を混ぜ合わせ、理想の色を作る人です。例えば、青という色の中にも淡い青や濃い青があります。人にはそれぞれ個性があるので、全く同じ色の人はいません。異なる色を混ぜ合わせながら、理想の色に近づけていく。それが指揮者の仕事です」 そう語るのは、鮮やかなブルーのシャツを颯爽と着こなす、一際目立った風貌の男性だ。この姿からは想像がつかないかもしれないが、普段は漆黒の燕尾服を身に纏うミュージカル指揮者、塩田明弘その人なのである。 ミュージカル指揮者の仕事場は、常に最高のものを求められる非常にシビアな現場だ。何十人、何百人という大勢の人々の共同作業によって、1つのミュージカル作品が作り上げられていく。そんな現場で指揮者として人々を牽引するのは、並大抵のことではない。 塩田さんが長年の指揮者生活で磨いてきたもの、それはコミュニケーション力とリーダーシップ力だ。この2つの力は、ありとあらゆる現場で通じるものだろう。果たして、第一線で活躍するミュージカル指揮者は、どのように人とコミュニケーションを図り、リーダーシップを発揮しているのだろうか。 帝国劇場や東京宝塚劇場をはじめ、多くの劇場が立ち並ぶ演劇の街、日比谷。ますます賑わいを見せる劇場街の一角にあるカフェで、塩田さんの頭の中を覗かせてもらった。 知られざるミュージカル指揮者の仕事いまやミュージカル指揮者の代名詞とも言える塩田さんだが、そもそも日本のミュージカルの歴史がまだ浅いこともあり、ミュージカル指揮者という職業は最近まで存在しなかった。塩田さんはこれまでに多くの仕事の誘いを受けてきたが、ミュージカル以外の仕事は全て断ってきたのだという。 「オペラとミュージカルのコンサートの仕事なら受けますが、オペラだけやクラシックだけの仕事の場合は、申し訳ないけれどごめんなさい。もし僕がオペラやクラシックの舞台で指揮を振ったとして、それを片手間にやっていると思われたら嫌ですし、何より、ブレずにミュージカル1本でやっていきたかったんです」 こうしてミュージカルにこだわり続けた甲斐があり、塩田さんはミュージカル指揮者のパイオニアとして認知されるようになったのである。そう、指揮者と言っても実に様々なジャンルの指揮者がいる。例えば前述したようなクラシックや、ゴスペル、ポップス、ジャズ、ラテン、そしてミュージカルだ。 ミュージカル指揮者が他のジャンルと大きく違うのは、指揮を振る対象がオーケストラの演奏者だけではないということだと、塩田さんは言う。 「指揮を振るときは、オーケストラの演奏者の他に舞台上の役者、さらには裏方スタッフである舞台監督だったり、音響だったり、照明だったり、各セクションの人を意識しています。そしてもちろん、真後ろにいるお客様の空気も感じながら振っているんですよ」 指揮者が立つのは、舞台上でもなく、舞台裏でもない。舞台と客席の間に設けられたオーケストラピット(通称オケピ、ピット)の中心だ。一般的に舞台に近い前方客席を「S席」や「SS席」と呼ぶが、塩田さんが立つ場所は言ってみれば「SSS席」にあたる。決してお金では買えない特等席だ。全てを見渡せる良席だが、その分、責任も重い。 ミュージカルの舞台上では、歌、ダンス、せりふ、舞台装置の転換などが目まぐるしく展開される。その各々にタイミングやテンポ、間がある。ミュージカルで指揮を振るためには、これらをしっかりと把握することが必要不可欠だ。 客席から指揮者の後ろ姿を見ただけではわからないかもしれないが、ミュージカル指揮者は劇場や作品のことはもちろん、あらゆるセクションの仕事を理解した上で指揮を振っている。常に冷静に五感を研ぎ澄まし、指揮台に立っているのである。 苦節10年、下積み時代があっての今ミュージカル指揮者として表舞台に立つためには、まずは副指揮として本指揮者のアシスタントをしながら修行を積み、裏方スタッフの業務も経験すべきだと塩田さんは考える。実際、欧米では10年程の訓練を受けてからデビューする人がほとんどだという。ところが、日本のミュージカル界ではそのような訓練を受けられる場所自体少ないのが現状だ。 塩田さん自身は藤原歌劇団というオペラ団体で副指揮を務め、10年間修行を積んできた。下積み時代は稽古場でのピアノ伴奏をはじめ、小道具のチェック、照明のキュー出しなど、劇場の裏方仕事も多く経験してきたという。本来の指揮者としての仕事がなかなかできず、もどかしい思いをすることもあったそうだ。 「手に職をつけるって、結局はそうゆうことなんですよね。料理人の修行みたいなものでしょうか。歯がゆい思いもしましたが、指揮者の仕事と直接関係ないと思われるような経験がすごく大事だったのだと、今は痛感しています」 苦節10年。泥臭い下積み時代、歯を食いしばって乗り越えてきた人の言葉には、重みがある。 指揮者はたくさんのオーケストラの演奏者たちに囲まれているが、実は非常に孤独な職業でもある。1人で思い悩み、孤独感にさいなまれることも少なくないそうだ。 そんな指揮者の塩田さんを、デビュー当時から支え続ける人がいる。東宝株式会社の宮崎紀夫プロデューサーだ。宮崎さんと、藤原歌劇団の塩田さんの恩師に繋がりがあったことがきっかけで、塩田さんは東宝でミュージカル指揮者としてデビューした。右も左もわからない新人時代から今に至るまで、役者との仕事の仕方など、様々なアドバイスを受けて助けられてきたという。 ミュージカルの現場では、役者から学ぶことも多かった。 「松本白鸚さんからは芝居の間を、市村正親さんからは芝居の呼吸というものを教えていただきました。さらに、鳳蘭さんからは舞台への臨み方を、大地真央さんからは舞台は常に120パーセントで臨むということを学びました。挙げれば切りがありませんが、特にこの4名の方々がいらっしゃらなかったら、今の僕はないでしょう」 副指揮時代の奮闘、そしてデビューしてからの現場での学び。これらがあってはじめて、真のミュージカル指揮者となりえるのだ。 超短期決戦の稽古事情華やかなミュージカルの幕が開くまでの過程に、稽古期間というものがある。実は、この期間におけるミュージカル指揮者の役割は大きい。多くの場合、ミュージカルの稽古は1カ月〜2カ月程度。演出家をはじめとするスタッフや役者と共に作品を構築し、理解を深めていく。 稽古期間における指揮者の重要な仕事、それは稽古場で得たことをオーケストラの演奏者たちに伝えることだ。驚きなのはその期間である。1つの作品において、オーケストラのみで練習をするのはたったの2〜4日間。このあまりにも短いオーケストラの練習期間には、日本のミュージカルの興行システムに理由がある。 ミュージカルの本場であるニューヨーク・ブロードウェイやロンドン・ウエストエンドには、ロングランと呼ばれるシステムがある。1つの作品がヒットすれば、同じ作品を1年、10年と長期間に渡って上演し続けることができるシステムだ。 ところが、日本のミュージカルの上演期間は大抵1カ月、長くて3カ月。短い上演期間のために、長い稽古期間を取るのは難しいという現実がある。同じ理由で、オーケストラの演奏者の拘束日数も短くなってくる。こうしたミュージカルの興行システムが背景にあるため、オーケストラは超短期決戦で本番に臨む必要に迫られるのだ。 「何がどういう状況で、どんな背景があるのか。それに準じて、どのように表現しなくてはいけないのか。指揮者は限られた時間の中で、それらを演奏者たちに伝える役割を担っているのです。伝えなくてはならない情報は、山のようにあります」 わずかな時間の中でビジョンを共有し、個性豊かな人々をまとめあげてゴールへと導く。そこに必要なのは、圧倒的なコミュニケーション力とリーダーシップ力だ。指揮者という仕事は、このどちらの能力が欠けても成り立たない。いよいよ、塩田さんがたった1本の指揮棒で人を動かす秘訣に迫る。 答えは1つだけじゃない「指揮者は指揮棒を振っても、自分自身では音が鳴りません。演奏者がいてはじめて、音楽を奏でることができます。演奏者は指揮者にとって鏡のようなものなのです。僕がどんな想いで指揮をしているか、どう演奏してもらいたいのかを、指揮棒や言葉を通じて彼らに伝えます。いかに、自分と相手の想いを融合していくかが重要です」 一筋縄ではいかないような相手に意見することも、少なくないという。相手が有名な演出家やベテランの演奏者、大御所役者だとしても、塩田さんは恐れず発言する。製作現場において、先輩・後輩は関係ないのだ。そんな彼が人とコミュニケーションをする際、意識していることがある。それは、答えを1つではなく、必ず複数用意しておくということだ。 「音楽や芝居といった芸術には、百点満点というものがありません。例えば、スポーツで言うと野球なら得点数、陸上や水泳ならタイムで、はっきりと勝敗がわかりますよね。ところが、芸術には100人全員が『これが正解だ』と言えるものがないのです。芸術における正解というのは、あくまで主観。だからこそ正解を1つに決めず、複数の答えを準備しているのです。いろいろな状況を想定して、自分なりの答えを最低でも5〜10個は持っておくように心掛けています」 百点満点がない世界で生きる、塩田さんなりの工夫である。常に複数の答えを持っているからこそ、相手や現場に合わせて柔軟に対応することができるのだ。 自分が変われば周りも変わる大勢の人々をまとめて率いる立場 の指揮者には、必然的にリーダーシップ力が求められる。 「リーダーシップに関して僕が常々思っているのは、自分が変わることで周りを変えていくということです。例えば、川に石を投げたり指を入れたりすると、その瞬間にふっと流れが変わりますよね。そうやって流れを変えるものが、僕自身なんです」 ミュージカル『レ・ミゼラブル』に登場する学生革命家・アンジョルラスさながら、人が変わるのを待つのではなく、自らが革命を起こすのだという。鳴かぬなら私が鳴こう時鳥、といったところだろうか。 変革には、短期的なものから長期的なものまである。時代を追って少しずつ変わるものもあれば、同じミュージカル作品でも初日と千秋楽で大きく変化している、ということも珍しくない。 「まさに温故知新ですね。古いものをおざなりにせず、一方で変化を恐れず新しいものを生み出す。後退することも、停滞することもありません。1日1日が、目に見えない進化なのです。その進化を肌で感じながら、日々仕事をしています」 自らが変わることによって周りを動かし、新しい価値を生み出して切磋琢磨する。それこそが、塩田さんが編み出したリーダーシップだ。 1人が信じてくれたらそれでいいリーダーシップを維持するための、塩田さん流の心構えも教えてくれた。 「もし10人の人がいて、そのうち9人が反対意見だとしても、たった1人が僕のことを信じてくれればそれでいいと思っています。残り9人には、互いに歩み寄って徐々にわかってもらおう、というスタンスなんです」 塩田さんは誰にでも分け隔てなく正直に意見を言う性格。それ故に、批判的な人も少なくないのだという。 「みんなが最初から受け入れてくれるように、いい顔をして合わせることもできるかもしれません。けれど、そこには指導力というものはなくなります。すると、当然良い演奏はしてもらえませんし、素晴らしい歌も歌ってもらえないんです」 協調性を重んじて和気あいあいとした空気を作ることは、簡単かもしれない。あえてそうしないのは、少しでも良い作品を作りたいという想いが何にも勝るからだろう。最高の作品を作るためには、時には人と人とがせめぎ合う。そこに、妥協という2文字はないのである。 ミュージカルへの感謝と責務最後に、塩田さんが思い描く未来を伺った。すると、今後はミュージカルの魅力を広める活動や若手の育成にも力を入れていきたいのだと、熱っぽく語ってくれた。 「ミュージカルを観た人は楽しいと言ってくれますが、観たことがない人には何が楽しいのかわかりません。だからこそ、現場で働く僕のような人が面白おかしく、かつわかりやすく話すことで、もっと劇場を身近に感じてもらいたいと考えています。できれば日本全国でそうした草の根運動を行い、1人でも多くの方に劇場へ足を運んでいただけたら嬉しいですね」 塩田さんの活動の場は、ミュージカルの現場に留まらない。ミュージカル講座やトークイベントでは自らが進行役を務め、役者やオーケストラの演奏者を招いてミュージカルの楽しさを伝えている。後身の育成に関しても、2〜3年前からプロジェクトに参加し、既に行動を開始しているという。 「僕が突然倒れたり、いつか引退したりしたとき、代わりが誰もいないなんて無責任じゃないですか。自分が辞めたらもう終わり、というスタンスでは駄目だと思うんです。これまでミュージカルという世界で仕事をさせてもらった感謝を込めて、後身の育成をしていきたい。これが、ミュージカルに対する僕の最後の責務です」 ミュージカル作品は、多くの人の想いや努力が集まってようやく完成する。役者、オーケストラ、裏方スタッフ、営業・宣伝担当者など、誰一人欠けても成り立たない。 「皆が仲間なんです。誰かが偉いというわけではなく、皆が平等。それぞれのセクションで、責任を持って仕事を全うしています。その中で、たまたま僕は指揮者だっただけ。これからも、指揮者として僕ができることをやるのみです。こんなにミュージカルのことを好きな指揮者、他にいないんじゃないかな」 穏やかに細めた塩田さんのその目には、ミュージカルへの愛が溢れていた。これからも指揮棒片手に、日本のミュージカル界の未来を鮮やかに彩っていくに違いない。 / ミュージカル音楽監督・指揮者 塩田 明弘(しおた あきひろ) ミュージカル指揮者として初の文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨーク・ブロードウェイにおいて研鑽を積む。現在は東宝、ホリプロ、宝塚歌劇等のミュージカルやコンサートの音楽監督や指揮を中心に幅広く活動するほか、イベント等のプロデュース・構成などを手がけ、テレビ、ラジオに出演するなど幅広く活動する。また、自らのトークショーをはじめ司会進行を数多く務め、ホスト役としても定評がある。近年では世界各国のスターと共演した『K-Musical Stars Concert』『Wildhorn Melodies』『Wien Musical ConcertⅡ』にて音楽監督及び指揮を務め、『K-Musical Stars Concert in Seoul』では韓国での指揮デビューを果たし、更には韓国EMKミュージカル『ファントム』では音楽スーパーバイザーを務めた。近年の主な作品は、『ジキル&ハイド』『デスノートTHE MUSICAL』『天使にラブソングを~シスター・アクト』『ラ・マンチャの男』『ラ・カージュ・オ・フォール』『ラブ・ネバー・ダイ』他、レパートリーは50作品以上にのぼる。第9回読売演劇大賞スタッフ優秀賞を指揮者として初受賞。平成23年度日本演劇興行協会賞受賞。著書『知識ゼロからのミュージカル入門』(幻冬舎)が発売中。 Official Website シオタクターの部屋 http://shiotactor.blog116.fc2.com 取材・文・写真 松村 蘭(らんねえ)
1989年生まれ。出産を機にIT企業を退職し、フリーライターへ転向。2009年以降、ミュージカルに魅入られ劇場へ足繁く通い続ける。得意ジャンルは演劇/ミュージカル/IT/ビジネス/育児など。いいお芝居とおいしいビールとワインがあるところに出没します。 Twitter https://twitter.com/ranneechan note https://note.mu/ranneechan
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